哲学

友達と「トモダチ」でいられる時間は、そんなに長くない

小さい頃あんなに遊んだ地元のトモダチ達と、今ではもう殆ど会わないように、今いるトモダチとの関係も、一部の人を除いてそう長くは続かない。

ほんまかいなと思うかもしれないけど、本当だ。社会人になると、まじで昔の友達とは殆ど会えない。忙しかったり環境が変わると、僕らはそうやって「本当に必要な人間関係」以外は「切り捨てて」しまうのだ。

注意してもらいたいのが、僕らはトモダチのことを決して嫌いになったわけではない。僕らのなかでの彼らの優先順位が相対的に下がっただけなのだ。僕らは依然としてトモダチのことが好きだ。ただ、急がしいなか、わざわざ会うほどでは無くなっただけなのだ。

僕らはそうやってトモダチと会わなくなる代わりに、新しいトモダチと出会う。職場だったり、こういうイベントで会った同じ目標を持った仲間、子どもができたらママ友パパ友やPTA、など様々だ。

そうやって、僕らの人間関係は、時を経るごとに、必要な繋がりをもとに変化する。だからこそ、今この一瞬トモダチと会っていられることを大事にしたほうがよい。その人と一生であと何回会うかは、それほどおおくないのだ(もちろん一生続く友達は素敵なヴィンテージものだ)。

あらゆるものが流動的になる時代、うつろいゆく人間関係のなかで、僕らは一生を過ごす。そうやって一瞬一瞬の人間関係を大事にしていた人には、20年後にその繋がりが戻ることもある。それは、ビジネスの大きな商談の席かもしれないし、政治の大きな意思決定の場かもしれないし、結婚式のバージンロードの上かもしれない。

たとえ儚くても、瞬間瞬間を大切に。それが僕らの時代の「トモダチ」との付き合い方なのかもしれない。

 

This article is produced by 喜多恒介(株式会社キタイエ・代表取締役)