「ちょびっと尖った人」くらいなら、「独り」でいつでもなれる。でも「突き抜けた人」になるには、周りに「応援し合える仲間」が必要だ。
青臭い表現かもしれないけど、これはマジである。齢27にして、「大きな成功者」or「表舞台を降りた人」が僕の周りに分かれて見え始めてきた。その差が何かというと、「応援し合える仲間の有無」がめちゃくちゃデカい、と僕は感じます。
考えてみれば、当然のことかもしれない。云千メートル級に高くそびえ立つ山の土台はとても広いが、云百メートル級でよければ東京タワーのように針のような形状で良い。
実際に、何かに突き抜けようとする行為は、孤独を伴う。尖るということは、他の誰もがやっていない領域を目指すということだ。当然、高みを目指せば目指すほど、周りに人はいなくなってくる。頑張り続けることは、思ったより難しいことなのだ。
でもそんなときに、隣の山の頂にいる人と励ましの声を掛け合えたらどうだろうか。すぐ下から歩いてきている後輩から応援の言葉がもらえたらどうだろうか。山のふもとから、エールが届いたらどうだろうか。
「よし、まだまだ頑張ってみようか」と、さらなる高みを目指せると思う。逆に、山登りの途中に全くどこからも声が聞こえてこない状況を想像してほしい。先に進む脚はすくみ、もしかしたら引き返したくなってしまうかもしれない。
僕ら平成世代がこれから直面する困難な時代は、世界にとって未知の領域だ。国民の40%が高齢者で、さらには人口全体が減り続ける社会は、歴史上まだどの国も直面したことが無い。
そう、国全体が「突き抜けて」しまったのだ。
突き抜けた国には、様々な困難が待ち受けている。「自分の両親を、誰も介護してくれない」「お金が無くて治療が受けられない」「息子が通う小学校が少子化で潰れた」「税金が意味不明に高くて生活していけない」、、、嘘かと思うかもしれないけど、このまま無策だと、確実にホントの話になってしまう。
いや、むしろ既に身の回りで本当になりつつある。僕の友人は、祖父の介護と、介護疲れで病んでしまった母親の看病をしながら、家族の生活を養っている。「結婚なんて、できるわけがない」と彼は呟く。
こんな現実が、皆さんの周りにもこれから少しずつ増えてくると思います。それらが現実になったとき、僕らはどうすればいいのでしょうか。
「政治に文句を言う」「こんな国にした先人を呪う」「周囲から奪う」「諦める」…違うでしょ。どれをやっても、現実は変わらない。…「連帯して、繋がって、一歩ずつこの社会を良くしていく。」これしかないでしょ。
皆さんが「尖りたい」「尖りたくない」に関わらず、国全体が尖ってしまっている。なので、これから僕らの歩む道のりは険しいものとなると思います。
その道のりのなかで、この社会を支えようと、頑張っている人達がいます。起業やNPO、ボランティア、PTA、自治会、色んな組織で、身の回りから良くしていこうと踏ん張っている人がいます。
できるなら、自分がそうなれるよう、先陣を切ってほしい。それが難しくても、自分が共感できる人達にエールを送ってほしい。すでに頑張っている人は、隣のリーダーや下から登ってくる後輩に声をかけてあげてほしい。決してけなしたり、蹴落としたりしてはいけない。
そのようなスタンスは、問題だらけのこの社会において、自身に成功をもたらすだろうし、それと同時に周囲に成功ももたらす。僕はそんな社会を夢見ているし、現実のものとしていきたいと思っている。
最後まで読んでくれた方へ。とりあえず、周りで頑張っている友達一人に、「がんばれよ!」とメッセやコメントを送ってみてください。
「いきなりどうしたんだい?」って聞かれるかもしれないけど、「なんとなくだよ!笑 応援してるのを伝えたかった!」それだけでいいと思います。その一言で、頑張っている人は、物凄いエネルギーが湧いてきます。その人のエネルギーは、活動を通じて世界に広まります。
「がんばれよ」のたった5文字は、世界を変える。尖り続けるこの社会に、僕からもエールを送らせてください。ではでは。
This article is produced by 喜多恒介(株式会社キタイエ・代表取締役)